ワンラブ・プロジェクトの歩み

ワンラブでは97年から約30年間、活動を行ってきました。

決して思い通りになることばかりではありません。
辛いときや、苦しいときなど、大変な時期もたくさんありましたが、

みなさまの応援のおかげで、今まで活動を続けてこられました。
このページでは、そんなワンラブの歩みを6つの時期に分け説明していきます。

第1期:ガテラとの出会い 義肢装具士との出会い

89年
・丸の内でのOL生活に疲れた真美は、現実逃避のためケニアにスワヒリ語を勉強しに行きました。
・ケニアを訪問した際、今の夫となるガテラに出会いました。ガテラは足に障害がありました。

91年
・ガテラが日本に滞在している時、装具が壊れてしまったため、横浜にある義肢製作所に行くことに。
・ガテラと真美はそこで見た義肢装具の製作技術に感銘を受け、この技術をルワンダにも伝えたいと思うようになりました。

第2期:大虐殺の時代 ワンラブの発足

93年
・日本で寄付された義足を手にガテラはムリンディという村に向かいました。ここには虐殺を止めるための、反政府組織であるルワンダ愛国戦線の本拠地がありました。そこには現大統領のポール・カガメ氏を含む、多くのルワンダ人がいました。みんなの前でガテラは「紛争が終わったら、障害者を支援する活動を行いたい。万一、戦っている皆が足を失っても、私たちが必ず第二の足を作るので、心配しないで戦ってください」と宣言しました。


94年
・4月から7月までの約3か月間、ルワンダ大虐殺が起こりました。約100万人以上の犠牲者がでたと言われています。
・ガテラはケニアに避難していましたが、虐殺が終わってすぐの8月、ルワンダに戻りました。

95-96年
・真美もルワンダに渡り、ガテラと二人三脚で活動場所を探し始めました。
・ルワンダ法務省よりNGOの承認がおり、ムリンディ / ジャパン・ワンラブ・プロジェクトが設立されました。

97年

97年
キミフルラ地区に政府からの土地を譲り受けます。手つかずの土地だったため、一から建物を作ることに。経費節約のためにレンガ造りから始めました。
ニャミランボ地区に仮の義肢製作所を開きました。
・ガテラ、真美、義肢装具士2人で活動をスタート。
・最初の患者は、トラック運転中に地雷を踏んで両足を失った男性でした。
・政府から譲り受けた土地に本拠地となる義肢製作所を建てている間は、仮の義肢製作所で義肢製作を続けました。
義肢装具士の育成もここから始まりました。

第3期:新たな試みに挑戦し続けるワンラブ

99年
・政府と交渉しつつ、ルワンダ史上初となる「障害者の日」式典を開催しました。式典では障害者によるコンサートや運動会が行われました。

00年
・ニャミランボの義肢製作所から、完成したてのキミフルラ義肢製作所に引越し。
・新しい義肢製作所の開所式に加え、義肢装具トレーニング生たちに修了証書も渡しました。
・政府より譲り受けた、キミフルラのこの土地を「ワンラブランド」と命名。
・ルワンダ史上初となるパラリンピック選手を、シドニー・パラリンピックに輩出しました。彼は昼間は義肢装具士見習いとしてワンラブで働くことになりました。
・活動資金を生み出すために、レストランとゲストハウスをオープン。

02-05年
・地方に住む障害者に義肢装具を提供するための巡回診療がスタート。
・技術トレーニングのため、義肢装具士を日本に派遣するプログラムをスタート。
・日本で開催された愛・地球博-EXPO2005-に参加。ルワンダで作った義肢装具や、説明パネルなどを展示。

第4期:10周年目を迎えるワンラブ 国外への活動展開

06年
・世界一周をする船-PEACE BOAT-に乗船。船内で平和についてのスピーチや、活動の話をする。
・隣国ブルンジに義肢製作所を開くため、ブルンジ政府との交渉をした結果、NGOとしての承認がおりる。

07年
・日本への義肢装具士派遣プログラムにて、初めて女性の派遣を行う。
・9月 ブルンジに義肢製作所をオープン。11月には巡回診療をスタート。
・静岡で開催された国際アビリンピック大会に参加。下肢に障害のあるルワンダ人女性が「刺繍」の競技に参加。


11年
・ガテラの開発したオーディオドラムがルワンダで実用新案の認証を受ける。これらは全て職業訓練の一環として障害のある人々に製作してもらいました。
・ガテラと、知り合いのルワンダ人たち主導で、東日本大震災からの復興のためのチャリティイベントを開催。
・韓国 ソウルで開催された国際アビリンピック大会に参加。ルワンダ人の下肢障害者と聴覚障害者が「義肢ソケット作成、洋裁、絵画」の競技に参加。

16年
・フランス ボルドーで開催された国際アビリンピック大会に参加。装具製作競技に出場。

17年
・ブルンジが情勢不安定になったため、活動を撤退。

第5期:政府によるワンラブランドの強制撤去

20年
・ワンラブランド内を流れていた川が氾濫するため、地域一帯が洪水被害に悩まされていました。(5回の洪水被害)
・洪水の危険性を考慮した政府が、地域一帯に住む住民に対し強制立ち退きの命じました。
・「すぐの立ち退きはできない」と伝えたところ、翌日政府はショベルカーを持ってきて、強制撤去が実施されました。
・1からつくり上げた場所を目の前で壊された無念さや、良かれと思ってやってきたことを簡単に壊されてしまった理不尽な思いは計り知れません。
・継続か撤退か悩んだ結果、再建に向けて立ち上がる決意をしました。
・強制撤去の対象となった人達への補償は、まだされていません。

第6期:新生ワンラブの再建 そして復活

22年
・建物の強制撤去という今までにない試練に見舞われましたが、再建を目指しクラウドファンディングを実施。たくさんの人からご支援を受けました。
・ガテラの親戚から土地を安価で譲ってもらい、新ワンラブの建築に取り掛かりました。
・その間コロナが広まったこともあり、建築作業は思ったように進めることができませんでした。
・22年5月めでたく新ワンラブ誕生。
・現在も義足づくりを続けています。