
Eboshi ゲストハウスは、ただの宿泊施設ではありません。皆様の滞在がルワンダの障害者への支援につながります。ホストのルダシングワ真美は、1994年に起こったルワンダ大虐殺以降、約25年以上もの間、ルワンダ社会の再建に尽力してきました。皆様の宿泊による収益は、ルダシングワ真美と夫のガテラが設立したNGO、Mulindi Japan One Love Project に還元されます。この団体では、虐殺で手や足を失ってしまった人、怪我や病気で手足に障害を負ってしまった人に義手や義足を無料で提供し、彼らの社会復帰を支えています。
“Eboshi” という名前は、神奈川県茅ヶ崎市の海に浮かぶ特徴的な形をした岩礁「烏帽子岩(えぼしいわ)」(正式名称「姥島」)に由来しています。”Eboshi”とは、平安時代に貴族や武士がかぶっていた黒い帽子のことで、岩礁がその形に似ていたことから、「烏帽子岩」と名付けられたと言われています。 真美の故郷である茅ヶ崎の美しさを、遠く離れたルワンダの地でも思い出せるようにと、この名前が付けられました。
かつて、Eboshi ゲストハウスは、義肢製作所やレストラン、バンガロー、キャンプ場、職業訓練校、ホールなどを併設した 「One Love Land」 の一部として、キガリの別の場所にありました。
しかし、2020年、政府による強制撤去により 、One Love Land とともにEboshi ゲストハウスも失われました。それは施設だけでなく、ルダシングワ真美と夫のガテラ、そしてそこに関わるすべての人々にとっても大きな打撃となりました。
それでも、さまざまな困難を乗り越え、真美とガテラは新たな場所で再びスタートすることを決意しました。
現在のEboshi ゲストハウスは、多くの地元の人々の支えによって、一つひとつ手作りで築き上げられました。 ホテルやアパートのような豪華さはないかもしれませんが、ここにはたくさんの想いと努力が詰まっています。
真美とルワンダの出会い
ゲストハウス Eboshi のホストである真美は、1989年に初めて訪れたケニアで、今の夫となるガテラと出会いました。彼は民族紛争を逃れて、ルワンダ国外で難民として生活していました。彼と交流を深める中で、当時のルワンダの民族対立や、障害者が直面する厳しい現実を知ることとなりました。
1991年、ガテラが日本を訪れた際、彼の装具が壊れてしまいました。 新しい装具を作ろうと訪れた一軒の義肢製作所。職人が義足を作る様子を見て、二人は「この技術はルワンダで必ず役に立つ」と感じました。
当時OLをしていた真美は仕事を辞め、その義肢製作所に弟子入りしました。約5年間の修行を経て、義肢装具士の資格を取りました。1994年のルワンダ大虐殺の後、ルワンダに戻った二人は、首都キガリにて義肢製作所を開きました。

Mulindi Japan One Love Project は、さまざまな試練や困難を乗り越えて、現在もルワンダにて活動をしています。
そしてEboshi での収益は、多くの障害者の支えとなっています。今後とも、皆様のご支援をどうかよろしくお願いします。